マリア観音像(4)


 幕末の頃一人の旅人が南から吉田川を渡り粕川に入ってきた。この旅人こそ隠れキリシタンで大郷の南部の山間で秘かにマリア観音を礼拝していたが、役人の取締りが厳しくなり北の方にマリア観音を隠匿しようと粕川まで来たが、役人の詮議が更に厳しく捕縛されそうになったので粕川の某家に子安観音と偽って預けたものである。
 某家では預かった観音像を子安観音として家の傍に観音堂を造り、粕川の人々と共に信仰してきた。明治になりキリスト教の禁教が解けると、隠れキリシタンの子孫から子安観音は何時しかマリア観音呼ばれるようになった。いくばくかの哀愁を感じさせる顔、迫害された多くのキリシタン、そして洪水と戦いながら逞しく生きてきた粕川の人々の歴史を静かに見守ってきた証人でもある。