2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧

千葉立造の経歴(3)

無事東京に着きその後岩佐先生から重要せられ、明治8年岩佐病院設立後は副院長徒なり、また塾生の指導係として塾長にまで登用された。立造氏曰く「予の今日あるは松島の葉山権現の加護によると」然り立造氏が明治2年、徒手空挙帝都に出て岩佐病院の学僕に…

千葉立造の経歴(2)

岩佐病院にいること3年刻苦勉励したが,明治4年脚気症のために帰省の止む無きに至った。 翌5年岩佐純先生が明治天皇の待医となられたが,予てより立造の人物を惜しみたる岩佐先生が 切に帰京を促してきたが脚気症尚癒えざる「男子志を立て朝に道を開き夕に…

累卵の意味

累卵・・・・積み重ねた卵解釈・・・・いつ崩れるか分からないような非常に危険な状態の例え出典・・・・中国の戦国時代の「韓非子」十過・「故曹小國也,而迫於晋・楚乃間危猶累卵也訳文・・・・故に曹は小国にして,晋・楚の間に迫る。危うきこと猶累卵の如し

累卵の碑を糟川寺に建立した千葉愛石(本名立造)の経歴(1)

弘化元年(1846年)宮城県黒川郡粕川村(現大郷町)に生まれる。幼きにして聡明, 学を好むも家貧しく油を買う銭もなく線香の灯りで読書し,河原の砂で習字をする。 その後医学を志し,慶応元年(1865年)仙台藩医赤坂塾に入り修行二カ年、粕川に医 者…